【彼女日記】(公開分)






【彼女日記】(公開分)
2017.6.5
今日、彼女のために、何もできない自分に気づいてしまった。
今までも、彼女のためになるようなことをしてきたとは思っていない。
私にとっては彼女のために自分の時間を使うことがとても自然で、幸せだと思ってきたから、本当のことは見ない振りをしてきた。
分かっている。これが彼女と私に用意された運命なのだって。いつかは、受け入れなくてはいけない。
これは、悪い妄想ではなく、単に、本当のこと。
この世からいなくなりたい。強烈に引きずられる。
ただ、彼女が自分の発表が出たら私がどうなってしまうかを心配をしていたらしいという話を聞かせてもらった。
それも、本当のこと?
なのだとしたら、私は、ここで倒れてはだめ。
ここで倒れてはだめ。
2017.5.29
昼食後、横になっていて、夢で見ていたわけではないのに、彼女が失われそうな恐ろしさで目が覚めて、同時に頭の中が絞り上げられるような?ねじ曲げられるような?圧力を感じた。薬でコントロールされるのと同じくらいの強力な力だった。防御本能による脳内麻薬の一種だろう。怖くてただ泣く。
仕事は、今日まで待ってもやはりどうしても取りかかれないので、急かされてはいないけれど、降ろさせていただくことにした。
私は私の力で立てるようにならないと。
「さぁ駆け出そうよ 今すぐに
未来が今は遠くても
一人ぼっちのままで
泣く夜が続いても
本当の私へ」(「希空」)
いや、駆け出せないけど笑。それに私は一人ぼっちじゃない。彼女に依存するのではない、彼女の幸せをただ願える私へ。その先の「本当の私へ」。

2017.5.20
明日で一週間経つ。

女子サッカー関連の友人たちとツイッターで話した翌朝、久々にスタバに行った。ストロベリーのフラペチーノが出ているとのことで、教えてもらったカスタマイズなるものを初めてしてみた(どんだけ田舎もの笑)。
いちご増量して、豆乳にして、あとナッツが好きなので、そういうトッピングできますか? と聞いたら、ヘーゼルナッツシロップがありますといわれたのでそれを足して。チョコを勧められたが、私はいちごとチョコの組み合わせがそんなに好きでなくて今日はパス(いちごチョコは好きだけどな?)。
出来上がったものは、、美味しかった!!!
スタバ高いイメージがあって、最寄りの駅前にあっても滅多に行かないのだけれど、いい気分転換になった。

久しぶりに仕事が来ていて。急ぎじゃないもの。これもいい気分転換になってくれるだろう。

「(彼女の)ロスを克服して」という言葉を読んで。
え、私は永遠に彼女をロスなんかしないけど、、と思った。

何度も書いているが、私はちょうど30歳になったばかりの頃に今の病気を発症した。ところが、ちょうど同じ時期に大学時代からの親友がやはり精神的な病気にかかっていて。
筆名のサインからsokoさんとここでも呼ぼう。
それ以前から、お母さまから少しsokoさんが心配だというお話はsokoさんには内緒で伺っていたのだけれど、私はその重篤さを知らずに発病してしまい、もはやこの世の人じゃなくなっていて。いちばんひどい症状だったときにsokoさんがなくなったことを知らされた。
その数日前、sokoさんの郷里は岐阜なのだが、私はそのときに潜伏していた実家の自室から脱走して、延々と東海道線の鈍行に乗ってどこまでも行っていて。たどりついたのが岐阜だった。まったく知らない岐阜をあてもなくうろうろして、数日で何かにあきらめて、帰ってきた。そして、sokoさんの死を知った。sokoさんがなくなったのは東京の病院だったが、おそらく岐阜に行ったのはsokoさんに呼ばれていたんだろうと思う(しかし見当違いのところに行くダメな私)。
私は結局何もできなかった。sokoさんがいちばんつらいときに私は本当に何もできなかった。
sokoさんは童話を書いていて賞を取ったこともある人だが、なぜか私の書くものを誰よりも認めてくれていた。私が編集をしていた同人誌にもずっと寄稿してくれていて、その頃から、「書いたものはみんな(私に)預けるから」って、どういう意味か分からなかったが、そう言っていて、結果的に私のところにいちばんsokoさん書いたものが残っていたので、それをさまざまなご縁から出版することになり、私もそれを編集者の一人としてお手伝いさせていただいた。
sokoさんは多才な人で、短歌もたくさん残したので短歌集もその界隈のお友達のご縁で出版、絵も描けたのでそれもたくさん残っていて、お母さまのご希望もあって、数年後に私が東京でギャラリーを借りて、最初で最後の個展を開いた。
それまでに、sokoさんがなくなって一年経つ頃からホームページを開設して、sokoさんの出版物など残してくれたものをいろいろな形で紹介していた。
私はまだかなり躁の妄想症状がひどく、sokoさんと頭の中でじかに話せてしまう感じで。お葬式などに出なかったせいもあるのだろう。sokoさんの死を普通の状態では受け止められていなかったのだと思う。
その後、どんどん広がるご縁の中で、sokoさんを不在とする方々との落差がどうしても埋められず、年が経つにつれて出版物も絶版になっていき、私はホームページの更新を止めた。
sokoさんは、私の物語に人魚のsokoさんとして、永遠にいてくれる存在になった。日常にもふとsokoさんの声がよぎる。私の中では、sokoさんはロスしていないのだ。たとえ常識的にはなくなったといわれる状態であっても。ダメダメなsokoさんも、素敵なsokoさんも、みんなそのまま。

私は彼女の親友ではないし、私の言葉が、そうした方々の彼女を支える力には全然及ばないことを承知で、それでも彼女はsokoさんと同じくらい私にとっては大切な人なので(本当に一方的で申し訳ないのだが)、今度は絶対に後悔したくない。
だからといって、彼女がsokoさんの代わりだとかいうことではまったくない。
彼女の代わりは、私には有り得ないし、必要ない。
また、私のかつての後悔を、彼女に押しつけたいわけでもない。大切な人の大事なときに、できるだけ私らしい私で、接していたいというだけだ。
今度はそれができると、根拠もなく信じている。それはきっと相手が彼女だから。
彼女は生きている人だから、この先もきっとどんどん変化していくのだろう。私がどこまで接することが可能なのかも分からない。
それでも、姿が見えるかぎり、できるだけ私らしく手を振っていたい。

この機会に、何か私まで心の中が整理されていくみたいに思える。
今はまだ本当には分からないが、もしかしたらもう彼女が悪い妄想に現れることはない気がする。
彼女の存在が私の中でシフトしたような。
ここまで一方的な関係なのに、こうしてずかずか勝手に大切な人にしてしまう私の図々しさは、本当に恐ろしい。
でも1ミリも後悔したことがないので。その予定もない。

今日の夕御飯は何かな。